1987年センチュリーFC設立(代表・総監督)、1995年MCU設立(代表)、1996年,1997年全日連続出場(97年度全国3位)、センチュリーFC(U-15)のブラジル遠征でコリンチャンスを5対0で破りガゼッタ(現地新聞)で大きく報じられる。約30年間一貫して日本とブラジルの育成現場でジュニアとユース年代の指導に携わる。
ラグビープレーヤーとして立命館大キャプテンまた、大阪教員チーム(現在のトップリーグ)で活躍、12年前より加東SCの監督として多くの少年少女を育てる。総合型スポーツクラブを目指す上でのキーマンとなる。